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ママがいい! [日記]

桜満開の下で行われた入園式を終え、今日から幼稚園が始まりました。新入園児のお友達や、保護者の皆様にとっては、中村幼稚園初日ですね!

保育を終えて帰ってきたお友達の様子はいかがでしょう。年少さんや年少々さんは、訳が分からなくってあっという間に終わった1日だったことでしょう。進級児のお友達も、クラスや担任、同級生が変わったことで、平気な様子でも結構「気を遣っている」事があり、気づいていないうちに疲れているものです。

かくいうタカシ先生も入園式後は、「う〜ぅむ、今年の入園式は桜満開のお花見入園式だったため、少し気合いを入れすぎたかな?」となんだかぐったりしちゃってました。毎年の通年行事のタカシ先生でさえこうなんですもの、お友達だってそれ以上に疲れちゃっているに違いありません。

さて、登園初日を終え、「え?!思いの外順調なんですけどーー!!」とお思いの保護者の皆様。「(人差し指を左右に振って)チッチッチ」特に、年少さんと年少々さんは、まだ本領発揮できていませんからね。泣いて登園してこなかったお友達ほど少しずつ訳がわかってきて数日後には「あれ?なぜお母さんがいないんだっけ?」と周りを見渡す事でしょう。逆に、今ギャン泣きのお友達は「その事」がわかっているので順応するのも早いと思います。何はともあれ、泣く日が来ると思いますので、その日を楽しみにしつつ登園させてくださいね。

さてさて、「おかあさーーーん!」と叫び喚く子ども達。今日も、子どもの声に後ろ髪をひかれながら怪訝な表情で幼稚園を跡にされたお母様が、今年も見受けられました。そんなお母様の表情を垣間見て、タカシ先生はついこの間読んだ「ママがいい!」のこの一説を思い出しました。

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「ママがいい!(松井和著)」
「1週間の慣らし保育で泣き叫ぶ幼児の画像をまとめて編集し、政治家に見せれば保育はサービスだ、親のニーズに応えよ、などと安易に言わなくなるのではないでしょうか」と語った。
慣らし保育とは、何に慣れるように行う事なのか・「ママがいい!ママがいい!」という叫びになれるためなのか、慣れて言わなくなることになれるためなのか。0歳児から預ければ「ママがいい!」という言葉さえ存在しなくなる。大切なもの、人間が生きるきっかけのようなものが1つ1つ消えてゆく。
それに慣れようとしている社会に私たちは住んでいる。それに慣れた世代が、いつか気づいて「家族はいい!」と叫ぶ日がくるのだろうか。
慣らし保育で「ママがいい!、ママがいい!」と叫ばれた母親は、自分がいかにいい親だったから叫ばれたことを覚えておいてほしい。それは勲章だったのだ。長い人類の営みを持続可能にしてきたその言葉、聖母子像や観音像に繰り返し込められてきた喜びを真剣に向き合う時に来ている。
慣らし保育でお互いに流した涙は、人生で一番美しい涙だったかもしれない。
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泣き叫ばない子はこれから、特にお弁当を開けた時に保護者の皆様を思い出すでしょう。泣いている子どもたちは、今まさに「ママがいい!」のでしょう。

タカシ先生は、子どもは「泣くこと、騒ぐこと、走ること。そして寝ること」を仕事としていると思っているので、それを奪ってはならないと心底思ってます。
「落ち着きがなくて」と悩める親には「それは子どもの仕事ですから」と。
「うちの子うるさくて」と顔を顰める親にも「それは子どもの仕事ですよ」と。
そして泣くお友達には「たくさん泣きなさい。それは子どものお仕事ですよ」と、
声をかけるのです。
子どもが、泣けない、騒げない、走れない、そんな幼稚園は幼稚園じゃないのです。

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桜満開の幼稚園。新年中さん、君たちも入園したての頃は・・・笑