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視線 [日記]

入園式から1週間がすぎて登園5日目です。まだまだ慣れない新入児は、目に涙をためて担任の先生のエプロンを「ヒシ」と握っていたり、それが溢れて大粒の涙をこぼしていたり。中には「ママにあいだい」と訴えてみたりと様々な方法で自分の思いを先生に伝えています。

そんな新入児の中にも少しは慣れてきたお友達もいて、今日は泣くことなくタカシ先生についてくる満3歳児。タカシ先生が、桜舞い散る園庭を眺めながらテラスに座ると、ちょこんとタカシ先生に抱っこしお庭で遊んでいる年長さんに視線を向けています。ちょうど、年長さんのクラス前からクラスごとに園庭に出てきたところで、ガランとしていた園庭が一気に活気付きます。

それと同時に、小さい組さんもお集まりになって、担任の先生がテラスに来て「お集まりしましょー!!」なんて声をかけ始めるのです。

ですからタカシ先生も膝に抱っこしているお友達に「おっと!お集まりだって、お部屋にいきましょうねぇ〜」と、できるだけ、機嫌を損ねないよう、ママを思い出さないよう、お家に帰るって言い出さないよう、猫撫で声で声をかけるのであります。

そんなタカシ先生らしからぬ声で声掛けをしているタカシ先生を見ていた、お庭に出てきた年長さんの、タカシ先生を見る目の、ひどく冷たいことぉーーーー!!!「タカシ先生、なんて声だしてんの?」とでも言いたげなその視線。そんな視線を向けるのだけは、やーめーてぇーーー!!

ママがいい! [日記]

桜満開の下で行われた入園式を終え、今日から幼稚園が始まりました。新入園児のお友達や、保護者の皆様にとっては、中村幼稚園初日ですね!

保育を終えて帰ってきたお友達の様子はいかがでしょう。年少さんや年少々さんは、訳が分からなくってあっという間に終わった1日だったことでしょう。進級児のお友達も、クラスや担任、同級生が変わったことで、平気な様子でも結構「気を遣っている」事があり、気づいていないうちに疲れているものです。

かくいうタカシ先生も入園式後は、「う〜ぅむ、今年の入園式は桜満開のお花見入園式だったため、少し気合いを入れすぎたかな?」となんだかぐったりしちゃってました。毎年の通年行事のタカシ先生でさえこうなんですもの、お友達だってそれ以上に疲れちゃっているに違いありません。

さて、登園初日を終え、「え?!思いの外順調なんですけどーー!!」とお思いの保護者の皆様。「(人差し指を左右に振って)チッチッチ」特に、年少さんと年少々さんは、まだ本領発揮できていませんからね。泣いて登園してこなかったお友達ほど少しずつ訳がわかってきて数日後には「あれ?なぜお母さんがいないんだっけ?」と周りを見渡す事でしょう。逆に、今ギャン泣きのお友達は「その事」がわかっているので順応するのも早いと思います。何はともあれ、泣く日が来ると思いますので、その日を楽しみにしつつ登園させてくださいね。

さてさて、「おかあさーーーん!」と叫び喚く子ども達。今日も、子どもの声に後ろ髪をひかれながら怪訝な表情で幼稚園を跡にされたお母様が、今年も見受けられました。そんなお母様の表情を垣間見て、タカシ先生はついこの間読んだ「ママがいい!」のこの一説を思い出しました。

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「ママがいい!(松井和著)」
「1週間の慣らし保育で泣き叫ぶ幼児の画像をまとめて編集し、政治家に見せれば保育はサービスだ、親のニーズに応えよ、などと安易に言わなくなるのではないでしょうか」と語った。
慣らし保育とは、何に慣れるように行う事なのか・「ママがいい!ママがいい!」という叫びになれるためなのか、慣れて言わなくなることになれるためなのか。0歳児から預ければ「ママがいい!」という言葉さえ存在しなくなる。大切なもの、人間が生きるきっかけのようなものが1つ1つ消えてゆく。
それに慣れようとしている社会に私たちは住んでいる。それに慣れた世代が、いつか気づいて「家族はいい!」と叫ぶ日がくるのだろうか。
慣らし保育で「ママがいい!、ママがいい!」と叫ばれた母親は、自分がいかにいい親だったから叫ばれたことを覚えておいてほしい。それは勲章だったのだ。長い人類の営みを持続可能にしてきたその言葉、聖母子像や観音像に繰り返し込められてきた喜びを真剣に向き合う時に来ている。
慣らし保育でお互いに流した涙は、人生で一番美しい涙だったかもしれない。
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泣き叫ばない子はこれから、特にお弁当を開けた時に保護者の皆様を思い出すでしょう。泣いている子どもたちは、今まさに「ママがいい!」のでしょう。

タカシ先生は、子どもは「泣くこと、騒ぐこと、走ること。そして寝ること」を仕事としていると思っているので、それを奪ってはならないと心底思ってます。
「落ち着きがなくて」と悩める親には「それは子どもの仕事ですから」と。
「うちの子うるさくて」と顔を顰める親にも「それは子どもの仕事ですよ」と。
そして泣くお友達には「たくさん泣きなさい。それは子どものお仕事ですよ」と、
声をかけるのです。
子どもが、泣けない、騒げない、走れない、そんな幼稚園は幼稚園じゃないのです。

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桜満開の幼稚園。新年中さん、君たちも入園したての頃は・・・笑

お手紙 [日記]

今日から令和6年度が始まりました。
今朝、いつものように出勤すると、机の上にお手紙が置いてありました。きっと、先週の登園最終日に、卒園して行かれた年長さんからのものでしょう。タカシ先生は生憎、中学校の部活に顔を出していて直接受け取れず、担任か誰かが預かりタカシ先生の机に置いて行ったものと思われます。保護者の方には申し訳ないことをしたと思いながらお手紙を、拝読いたしました。

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たかし先生、けいこ先生、中村幼稚園の先生方、長い間本当にありがとうございました。○(姉)と△(卒園児)の在園期間を合わせて5年間、本当にお世話になりました。
初めて○を連れて中村幼稚園を見学に行った時、広い園庭でのびのび遊ぶ○をみて、ここなら○が楽しく過ごせそうだなと思い第一印象で決めましたが、本当に中村幼稚園でよかったと思っています。○は3年生になりますが、今でも時折、幼稚園で楽しかった思い出をニコニコとお家で話します。

そして△です。△の3年間は、親も本人も時に楽しく、時に苦しい本当に濃い3年間でした。間違いなく△の人生を変えた幼稚園生活でした。

他害や特性がよく出ていた3歳の頃。通っていた保育園に退園を迫られ、この子の行く場所はどこにもない、どこへ行っても疎まれ、迷惑をかけてしまう存在なんだと途方に暮れていた時、藁にも縋る思いでタカシ先生に相談した所、二つ返事で入園をOKしてくださいました。拍子抜けする程の快諾でした。△に居場所を与えてくださって本当にありがとうございました。
中村幼稚園に入園しなければ、主治医の先生を紹介していただくこともなく、△は今でも(それが悪い意味ではなく)軽度知的障害と自閉症スペクトラム症の診断がついたまま、全く違った道を歩んでいたと思います。

あの時、タカシ先生が「△は多分自閉症じゃないよ」と気づいてくださったおかげて今の主治医の先生に繋げていただき、今適切な治療とサポートを受けられています。本当に感謝という言葉では言い表せません。

いつも楽しく拝見させていただいたタカシ先生のブログですが、その中でも私の中で「特別な記事」があります。2021年の「特別な子」というタイトルの日記です。その日記の中で紹介されていた「特別な子」は憶測でしかないのですが、きっとその頃の△と見たような特性を持っている子なのかな?と感じました。

その特別な子は、他の子と同じように毎日幼稚園に通い、先生と絆を深め、その子なりにたくさん成長し、立派に卒園式で御免状をもらったと書いてありました。私は勝手にその子と△を重ね合わせてしまって、△も、今は言葉が出なくても、落ち着いて席に座っていられなくても、幼稚園でお友達や先生との触れ合いの中で成長し、3年後にはこの子と同じように立派に卒園式に出られるかもしれない、と勇気づけられました。

そして迎えた3月14日。そこには、入園したての頃とは別人のように成長して、元気に担任の先生にお返事をし、立派に御免状をもらう△がいました。見違えるような姿でした。けれどそこにいた△は決して別人などではなく、3年間中村幼稚園の先生方と、そして△自身が頑張ってくれた結実の姿なのだと思いました。きっと親がの私が知っていることなどほんの一部でしかなく、私の与り知らぬ所での先生方の苦労も沢山あったことと思います。

△が一番手をつけられない、一番手のかかる時期に担任をしてくださった年少時の先生。明るい人柄にいつも元気づけられました。いつも全力で叱ってそして沢山褒めてくれた、年中、年長時の先生。△も私も大好きです。いつても、温かく寄り添ってくれた圭子先生。沢山沢山相談に乗ってくださいました。そして、時間外保育担当で、いつも優しく迎えてくれた担当の先生。△に楽しい遊びを沢山教えてくださいました。優しく、時に厳しく成長を見守ってくれたタカシ先生。△を救ってくださいました。△に関わってくださったすべての先生方、本当にありがとうございました。子どもは勿論、親として保護者として未熟な私も沢山助けられました。いつか立派に大きく成長した△の姿をまた中村幼稚園の先生方に見ていただきたいです。

○と△を心豊かな子に育ててくださって本当にありがとうございました。

R6.3.28 △の母

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なんというお手紙でしょう。みなさんは、このお母様からのお手紙を読んで、どのような感想をお持ちになられますか。それは人それぞれですし、読む方の立場によって受け止め方が千差万別だとは思いますが、タカシ先生はこのお手紙を朝一で読んでこう思うのです。

「お母さんが一番頑張りましたね。それは、中村幼稚園の教員全員が知るところです。」と。

あかちゃん [日記]

幼稚園に赤ちゃんが来ました!
元教員が新年度修了のご挨拶に生後7ヶ月の赤ちゃんと一緒にやってきたのです。ついこの間、卒園生が巣立っていって、こちらの教員も出産を機に、中村幼稚園を巣立って行ったのに、こうして子どもを連れて幼稚園に来てくれるのは、園長としてとても嬉しい事です。

そういや、今年は春にも夏にもこう言った写真がありましたね。そうそう、ついこの間も、日誌にも記さず写真も撮りませんでしたが、約10年前に宮城県に嫁いて行った元教員も第2子の赤ちゃん抱いて、ひょいと幼稚園にやってきました。こちらの赤ちゃん、タカシ先生がヒョイと抱っこしようものなら、大泣きの大騒ぎで元教員が「この子人見知りするんですぅ〜」と、バツの悪そうな顔をしていたっけ。だから写真撮れなかったのーー!

そして今日の赤ちゃんは・・・?

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大泣きはしないものの、何か・・・・困ってる?
でも、タカシ先生の差し出す人差し指を「むぎゅ」と握りしっかりとカメラ目線なのでありました。

年度納めの直前に、こうして元教員があかちゃんを連れてやってきて抱っこさせてもらえるタカシ先生、シアワセ♪

卒園式と地震 [日記]

皆さんこんにちは。今日から幼稚園は春休みですね。天気も良くて、風も強くて花粉がバンバン飛んでいます。タカシ先生はティッシュを手放せずにいます。

さて、昨日は令和5年度の卒園式でした。天気にも恵まれ、中村幼稚園を巣立っていく年長さんが、いつもとは違っってお淑やかに登園しましたよ!タカシ先生ももれなく、一張羅を着て登園です。頭にはマジックで使う魔法のシルクハットではなく、本物のシルクハットをかぶっての参上。そんな「いで立ち」のタカシ先生をみて、年長さんも保護者の皆様も、「何かでますか?」なんて聞いていくもんだから、タカシ先生は「今日は涙と鼻水しか出ない」とか言っているのです。

かくして、厳粛に行われた第93回の卒園式。みな本当に立派に成長しました。タカシ先生は
は、お免状を渡しながらみんなが入園したての頃や、1人で砂遊びをしていたあの日。新緑に包まれた中かけっこをしていたあの日。秋色に染まる園庭で鼓笛隊の練習をしていたあの日。雪の積もった園庭で雪だるまを作っていたあの日、1日1日を思い出していました。

毎年毎年卒園児を送り出しますが、今年の卒園式も日本一だと自負しております。年長さん。年長さんの保護者の皆様、ご卒園おめでとうございました!

と、安堵し寝ついたところで、緊急地震速報が鳴るんだもんなぁ。そういや2022年3月16日震度6強の地震も卒園式終了後の23時でしたね。んもぅ〜嫌だなぁ。

いつもどおり [日記]

今日で13年目ですね。干支を一周したので、ちょっと記しましょうか。
いままで12回あった3月11日の日記を見返すと、あの3.11には触れられていません。追悼とか、思いを寄せてとか、絆とか。TVでもこの日はいつも「あの日」に思いを馳せているのですが、3.11の幼稚園のブログではあの日に触れていません。

もちろんあの記憶を語り、教訓を後世に伝えていく使命はあるのだけれど、それもなんとなくわかるんだけど、あの日以降のあの月も、あの年も。その次の日も、3年後も、5年後も、そして今も「いつもどおりの幼稚園」を心がけてきました。

そして、その後12年の間に、震度6弱の地震を2回経験してきた我々は、日本でも類稀に見る地域となりました。1週間に2回も市内が水害に遭う経験もありました。災害の度に「被災地」となり、その度に水が止まり、その度に割れたガラスを拾い、その度に休園となり、その度に励ましの声をもらい、それでも地域の復興を願い水が回復しなくてもなるべく早く幼稚園を開け、子どもたちをいつも通りに預かってきました。

そこにはいつも教員の弛まぬ努力と、保護者の皆様の力強い支えがありましたね。卒園して遠方に引っ越された方が来園してくださったり、メールをくださったり。現役の保護者の皆様も自身が被災されながら、子どもたちをいつも通りに送り出してくださいました。

私が幼稚園に勤めるようになってから、20数年になります。その頃は、「宮城県沖地震が高確率で来る」ということと、「幼稚園に勤める前に勤めていた会社で阪神淡路大震災の三宮周辺の被災地を実際に見てきた経験」から、家族全員参加型の大規模災害お迎え訓練を毎年1回行うようにしました。お迎えに来る時の保護者身元確認のカードの導入も、多分福島県では一番早い導入だと思います。

いつも通りではあるのだけれど、万が一に備えて幼稚園を運営してきました。天気予報や地震情報に毎日敏感になってしまったのは、きっとこの12年の生活のせいでしょう。

12年前の「いつもどおり」と12年間の「いつもどおり」がちょっと変わっちゃったんだけど、12年間もそんな生活をしていると、それが「いつもどおり」となり、習慣化してしまいます。災害には慣れたくないんだけれど、コレからくる災害に向けて、準備してかなければなりませんね。

だって、3.11は宮城県沖地震とは違う地震だって言うんですもの。

皆様も、幼稚園までのお迎えの経路方法、備蓄、車のガソリン等々、今日だけは少し意識しておきましょうね。

ギョロギョロ [日記]

あっという間に3月も中旬。3月に入って、年少さん、年少々さんの保護者の皆様に幼稚園をお掃除していただいたり寄せ植えをお願いしたり。今週は、年長さんのお別れ会が行われたり。そして日々、卒園式の練習が行われ、昨日はリハーサルをしたりと、あっという間に3月2週目が終わろうとしています。いよいよ令和5年度もカウントダウンに入りましたね。

そんな慌ただしい年度末なのに、今週は2回も積雪がありました。バスを止めるほどの雪ではないし、梅が咲く頃はこうした雪が降ることが珍しくないので驚きもしないのですが、週に2回となると「バスを止めなきゃないか。その案内はどうしようか。そもそもどれだけ降るのだ?大雪とは言ってなかったよな…」と、気が気じゃないタカシ先生なのです。

そんな気が気じゃない中で行われたお別れ会。そこでは恒例のタカシ先生のマジックが行われたのであります。例に漏れずその前夜。タカシ先生は魔法の国に赴いて、マジックの練習をしてきたのです。そこでは、まず最初にこれだな。コレをきっかけに、コレをやってみよう。次はコレだ、お花が咲くマジックをして、新学期に備えよう。そうそう、幼稚園の思い出を振り返ることもやらねば。魔法の袋から万国旗を出してみせるのはどうだ?年少さんの声かけには、小さな万国旗を出してみせ「まだまだだな」とか言っちゃったりして。あとはあれだ、朝ごはんを食べてくるように、ひよこに卵を家族分出してもらったり。そうそう、塗り絵が好きだったお友達のために自由画帳を使ったやつもやらねば。締めはやっぱり、あれだな動くやつ2つ。

とほくそ笑んで練習をし、さらには準備万端で挑んだのであります。

さて、どんなマジックショーが行われたのかは、ぜひお友達に聞いてくださいね。ほんと、最後の2つなんかは、お友達の目ん玉が飛び出すぐらい盛り上がっちゃって、タカシ先生のおっきな目もさらにおっきくなって「ぎょろぎょろ」しちゃったんだから(笑)

あー面白かった。


役員会 [日記]

今日は、令和5年度最後の役員会が開催されました。
幼稚園の行事や保護者会行事を、縁の下で支えてくださった役員さん。特に、今年はコロナ禍が明け、今まで継続でやってきた活動が一旦途切れた中での活動でした。

役員さんも半分以上が経験のないまま務めてくださり、手探り状態での保護者会活動。過去の活動内容や委員会ノートと睨めっこしながらの運営で本当にご苦労をかけました。

約1年前にど緊張の中で役員を引き受けていただき早1年。今では皆笑顔でさらにはママ友になったりして本当に和気藹々とした最後の役員会でした。

タカシ先生も、今年の役員さんには、本当に頭が下がります。お仕事の合間を縫って。家のことをさておいて。自分の子ども同様中村幼稚園の子どもたちに心を開いてくださり、楽しい行事ができたもの役員さんのおかげです。

今年一年本当にありがとうございました、

その後 [日記]

おはようございます。タカシです。

今週は、年中年長ともにサッカー大会が行われました。幼稚園の園庭には常時サッカーゴールが設置されており、秋の運動会、体育フェスティバルの時に、年長組さん全員がボールをもらえるので、いつでもどこでもサッカーができる環境が整っています。

サッカーに力を入れている幼稚園なのか。と問われると、そうではありません。他のスポーツに真剣に取り組んでいるタカシ先生の視点からすると、サッカーはなんというか言葉を選ばなければ「単純」なのです。
ボールを蹴ってゴールに入れる。そのルールが幼児期にとっては解りやすく、また集団で遊べる上に、視覚的にも子どもにとっては取り組みやすいのです。もちろん、年齢が上がるにつれ、戦術や技術。テクニックやチームワークが必要になり、観客を釘付けにするサッカーではありますが、幼児期のサッカーはそういうものがなくても、こちらの目が釘付けになるほど「解りやすい」のです。ですから言葉を選ばなければ「単純」という言葉が当てはまるのです。

一方、タカシ先生が嗜む「剣道」を見てごらんなさい。初めて見る方は、「黒づくめの稽古着袴に面を着け、表情が見えない上に、奇声を上げて一体何をしているのか?竹刀の動きが早すぎてなにがなんだかわからん。しかも勝っても喜んではいけない。応援だって原則拍手のみで声援は基本禁止。なんかへーんなの」と思われることでしょう。しかし、その複雑さゆえにハマると抜けられないのが剣道なのです。ちなみに、ただいま春季剣道人募集中ですので、進学する年長児や、進級する、現年中児年少児は、是非タカシ先生と奇声を上げて竹刀を振り回しましょう。

閑話休題

そんなサッカーですが、大会前に盛り上がるのは必然的なものがありますね。しかし、中村幼稚園の子ども達は違います。昨日サッカー大会を終えた年長児。昨日の朝までは決まったメンバーでサッカーボールを追いかけ遊んでいる姿でしたが、今朝はそうではないのです。
昨日までサッカー遊びに入っていなかったお友達が数人、ごく自然にサッカーのチームに混ざりボールを蹴っています。チーム分けもなんとなく無言のルールはあるようで、本当に自然です。これが、普段サッカーを「やらされている」ならばこうはいかないでしょう。

元来幼稚園というのは、「遊びを通して活動し成長する場」なのです。ですから、「英語をやってます!」という幼稚園があるとしてもそこは「英語遊びですから」となります。それが「遊びになっていない。遊んでいる風」ということは誰もが承知するところ、だと思います。

子ども達のが自ら学ぶというのは、このようなことではなく、今朝のサッカー遊びに見られるような「人との繋がり」や「気持ちの意思疎通」でしょう。興味のあることが自由にできたり、はたまたそれとは逆に、自由にやめたり。そ面白ければ長続きし、さらに複雑に展開されるだろうし、飽きればいつでもやめちゃう。アッチへ行ったり、コッチへ来たり、ういうことができるのが本当の「遊び」なのです。。

では、タカシ先生が教えている剣道教室はどうなんだ?と聞かれれば、幼児期から低学年のそれは「遊び」ですよ。気になる方は見に来てみてくださいね。

雪の日 [日記]

保護者の皆様、朝の送迎にご協力いただきありがとうございました。
国道49号いわき三和から平田村で昨夜積雪による立ち往生が約1km発生したようです。また常磐線も沿線の竹林が雪の重みでで線路にかかり電車も不通になったとか。

幼稚園バス運行についても、道路状況によっては、時間がかかってしまい、バスの中に子どもが乗りっぱなしになってしまう事もありますので、事前に荒天が予報されている時は、少し早めにバス運休のご案内を出したいと思います。

さて、昨日から雪の為バス運行をどうしようかに頭を悩ませていたタカシ先生をよそに、登園してきたお友達は、目を雪の結晶のようにランランと輝かせて正門をくぐってきました。正門前を雪掃きしていたタカシ先生。深雪を「キュッキュ♪」と踏んで登園してくるお友達に「今日は走っていっちゃダメだよー!」なんて声をかけ、一方では「今日はお庭の真ん中歩っていっていいよー!」と、雨の人は違った声をかけてあげるのです。

登園時間に余裕をもった本日。最後のお友達が登園する頃には、クラス担任が子どもたちに完全防備をさせ、早速園庭で雪遊びです。雪だるまを作ったり、雪合戦をしたり。雪が降って喜ぶのは、子犬と子ども達ですね。園庭を走り回ってつるんとすべって転んだり、タカシ先生に「こっちにおいでぇ〜」なんて言われて枝の下に子どもが集まると、枝を揺らして「わっさーーー!」と枝に積もった雪がお友達に降り注いだり。それはそれは、雪遊びを満喫したのであります。

入園パンフレットに書いてある通り、春は満開の桜。夏は新緑に包まれ、秋は落ち葉が舞振り、冬は雪遊びができる園庭。中村幼稚園は、ほんと四季折々でさまざまな表情を見せてくれます。そこで遊ぶ子ども達。存分に遊ばせてくれる担任。そんな姿を見てタカシ先生は、雪もまたいいものか。とほくそ笑んでいるのであります。

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お庭に「キュッキュ」と小さな足跡
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