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いつもどおり [日記]

今日で13年目ですね。干支を一周したので、ちょっと記しましょうか。
いままで12回あった3月11日の日記を見返すと、あの3.11には触れられていません。追悼とか、思いを寄せてとか、絆とか。TVでもこの日はいつも「あの日」に思いを馳せているのですが、3.11の幼稚園のブログではあの日に触れていません。

もちろんあの記憶を語り、教訓を後世に伝えていく使命はあるのだけれど、それもなんとなくわかるんだけど、あの日以降のあの月も、あの年も。その次の日も、3年後も、5年後も、そして今も「いつもどおりの幼稚園」を心がけてきました。

そして、その後12年の間に、震度6弱の地震を2回経験してきた我々は、日本でも類稀に見る地域となりました。1週間に2回も市内が水害に遭う経験もありました。災害の度に「被災地」となり、その度に水が止まり、その度に割れたガラスを拾い、その度に休園となり、その度に励ましの声をもらい、それでも地域の復興を願い水が回復しなくてもなるべく早く幼稚園を開け、子どもたちをいつも通りに預かってきました。

そこにはいつも教員の弛まぬ努力と、保護者の皆様の力強い支えがありましたね。卒園して遠方に引っ越された方が来園してくださったり、メールをくださったり。現役の保護者の皆様も自身が被災されながら、子どもたちをいつも通りに送り出してくださいました。

私が幼稚園に勤めるようになってから、20数年になります。その頃は、「宮城県沖地震が高確率で来る」ということと、「幼稚園に勤める前に勤めていた会社で阪神淡路大震災の三宮周辺の被災地を実際に見てきた経験」から、家族全員参加型の大規模災害お迎え訓練を毎年1回行うようにしました。お迎えに来る時の保護者身元確認のカードの導入も、多分福島県では一番早い導入だと思います。

いつも通りではあるのだけれど、万が一に備えて幼稚園を運営してきました。天気予報や地震情報に毎日敏感になってしまったのは、きっとこの12年の生活のせいでしょう。

12年前の「いつもどおり」と12年間の「いつもどおり」がちょっと変わっちゃったんだけど、12年間もそんな生活をしていると、それが「いつもどおり」となり、習慣化してしまいます。災害には慣れたくないんだけれど、コレからくる災害に向けて、準備してかなければなりませんね。

だって、3.11は宮城県沖地震とは違う地震だって言うんですもの。

皆様も、幼稚園までのお迎えの経路方法、備蓄、車のガソリン等々、今日だけは少し意識しておきましょうね。