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幸せ者 [日記]

まったく、年少さんはかわゆい。かわゆいですなぁ。
今日の外遊びの時間、タカシ先生も一緒になってお庭に出ておりました。タカシ先生は、お庭で遊ぶお友達のシャッターチャンスを逃すまいとカメラを片手に一通りお庭をウロウロし終わったあとに、あの広い園庭のど真ん中に腕を組んで仁王立ちを決め込み、砂場やブランコ、鉄棒や滑り台で遊んでいるお友達に視線を送りながら、ボール蹴りをしているお友達にボールを蹴り返したり、タカシ先生を見つけた年中女児のビシバシ攻撃に耐えたり。仁王立ちなもんで、両足の股の間をトンネルのように潜り続けるお友達の相手をしたり。ボーッとしているように見えるようで、実は頭の上から足の先まで子ども達の相手をしておるのです。えらいな、タカシ。

そんな風にしていると「おあつまりですよぅ」なんて、年中さんが園庭に並び始めました。タカシ先生も「お集まりか、いっておいで!」なんて、股を潜っている年中児に声をかけたところで、年少さんが「待ってました!」と言わんばかりにタカシ先生のところへ。でも、年中さんはそのままクラスへ帰るのではなく、「かけっこ」をしてから帰る模様。ですので、年中さんは、園庭の円周を駆けるように整列し、担任の先生が「よーいどん!」をする手筈で移動し始めました。

そんな様子をみたタカシ先生。これはチャンスとベンチを引っ張ってきて特等席へ陣取り、ポッケに入れていたカメラを構え年中さんのかけっこの様子をカメラに収めようとカメラを構えると・・・。

「タカシ先生隣いい?」なんつって、年少女児が次から次へとタカシ先生の座るベンチにちょこんと座るではありませんか。その数4人。「なにも加齢臭漂うタカシ先生の隣になんて座らんでも良いだろうに・・・」と思いながら「どうぞ」なんていうタカシ先生です。かくして、タカシ先生と年少さんの女の子軍団は、年中さんのかけっこを特等席で見ているのですが、この座った年少さんの様子がかわゆい、かわゆいすぎる!

「かんぱれー(パチパチ)。おにいさん、早いね。私のおにいたんは○と△って名前なのよ」なんてお話してくれます。そして順々に走る年中さんに「かんぱれー!(パチパチパチ)」「かんぱれー!(パチパチ)早いね」「かんぱれー、たかしせんせ、写真撮った?」などなど、順々に走るたびに、走る年中さんを応援し、パチパチと手を叩き、その有志に感嘆の声をあげるのです。

空は青空。新緑降る園庭の下。入園したての年少時に挟まれ、目の前には風を切って走る年中児。どうです?こんな日常を送っているタカシ先生って幸せ者でしょ?(^^)

そして、こんな幸せもあるのですよ。

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寂しくて人差し指「ひしっ」の図。

広くて深い場所 [日記]

1週間通しての保育が終わりました。この1週間比較的天候に恵まれ、子ども達は外に出て遊ぶことができました。「いっぱいあそぼう!」と銘打っている中村幼稚園です。今週は、その名の通りいっぱい園庭で遊びましたよ。

「この時期の新入園児は、右も左もわからず不安でいっぱい」と記しましたが、園庭で遊ぶとその不安がどっかに飛んで行っちゃうようです。解らないなら解らないなりに子ども達は知恵を絞って自分を安心させる術をしっているのです。

例えば「独り遊び」この時期の年少さんの遊びは「独り遊び」が主です。お庭で遊ぶにも友達と遊ぶよりは「独りで砂いじり」とか「独りでぶらぶら」とか。滑り台も、一見みんなで遊んでいるようですが、実は独りでご満悦な状態なのです。そうして何かに集中して没頭し、独りでいる時って大人だって「なんだか落ち着く」なんてことがあるでしょう。そしてふと我に返り、ちょっと寂しくなった時には先生のエプロンをつかんでいたり、先生の隣にちょこんと座ってみたり、中にはタカシ先生の人差し指をちっちゃな手で「ぎゅっ」っと握って寂しさを紛らわせたりしているのです。

大人はこぞって「仲良く遊びなさい」とか「ほらお友達と一緒に!」とか、かくも友達と一緒にいる方が良いと思いがちですが、実はそうではありません。独りで遊べるからこそ次第に気の合うお友達ができ、気の合うお友達ができてこそ遊びに深みがでてくるのです。大して興味のないことを「させられたり」また、よく知らないお友達と「仲良く」といったってそれは所詮「他人に遊ばされている」という、受動的な遊びになってしまいそれは長続きしないものなのです。

中村幼稚園の先生方はその辺がよーくわかっているので、例えば独りで砂遊びをしているお友達がいれば、自分の周りに独り遊びをしているお友達を数人あつめて、そこに一緒に座って見守っていたり、先生も砂遊びをして見せているのです。そのうち、砂場のおもちゃが欲しい、とか、隣のお友達の物で遊びたいとか。中には先生の使っているものを貸してくれとか。そう言った時に、「貸してあげようか」とか「(友達に)貸してっていってごらん」とか。あるいは「もう少し待って欲しいんだって」とか、子どもの心の内の言葉を代弁してあげるのです。そういう経験を1学期にしていくことで、2学期になるころには隣の子同士で物の貸し借りができたり、なんかすごいことをやっているお友達を見つければ「混ぜて」って言えるようになったり。時には、邪魔をしているように見えて遊びが深まり発展していったり。子どもの遊びとは、そういうものなのです。

「させられている遊び」よりも「している遊び」の方が断然楽しく深まっていくもの。中村幼稚園の園庭は子ども達にとってはどこまでも広くどこまでも深みのある場所なのです。

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集団でいるようで、実は独り遊びでご満悦。

電話 [日記]

さぁさぁ、令和3年度3日目ですよ。お友達も少しずつではありますが「幼稚園ってこんなところ」ってのがわかり始めてきましたね。でも、まだまだわからない事の方が多くて、多分この時期は「気持ちだけで」乗り切っていることでしょう。

園見学の際に時々話をすることがあるのですが、今の新入児を大人の状態に置き換えると、見知らぬ外国に独りポツンと置かれた状態。英語圏ならなんとか文字を読んで「あっちはトイレかな?」なんてわかりそうなものですが、タイ語であったり、アラビア語であったりすると「なんだこの字は・・・」と右も左もわからず、さらに道を尋ねようにも知っている人がもちろんおらず、片言の英語も通じず「おいら、異国の地でどうしていけばいいんじゃい」と途方に暮れている。そんな感じでしょう。

そこへ、「アナタは日本人ですか?」などと声をかけられた時のあの、後光がさすような、涙がでそうな「これで助かった・・・・」という大きな安心感。「そう!日本人です!すみませんがトイレはどこですか?!!」と、一気に心を許してしまう。そんな経験ありませんか?実際タカシ先生は新婚旅行で「アナタは日本人ですか?」と裏若き女性に声をかけられ「あれをバックに写真を撮ってくださいませんこと?(おほほ)」といわれ、鼻の下を伸ばして「ガッテン!1枚と言わず2枚も3枚も撮っちゃいます!!(パシャパシャ)ついでに、ご一緒にいかがですか?」などと調子に乗りながらカメラを返し相手が日本人なのに「シーユー」なんて言ったところで、隣にいた新婚ホヤホヤの妻に「アナタって、どこでも声かけられる顔なのね」と冷たい視線を浴び、「ちが、ちがう、向こうが・・・ほら独り旅だったようだし、シャッターくらいは、同じ日本人のよしみで」などと、しどろもどろで理解を得ようにもどうにもこうにも納得してくれなくて。幸い成田ナントカにならずにはすみましたが、「それって俺のせい?」って日本に帰ってきてから異様に腹が立った思い出がある。(プンプン)

閑話休題
そういう状況ですな。ですからタカシ先生は努めて明るく、後光がさす日本人のように、「おっはよー!」って泣いてくる新入園児に挨拶したり、手をつないで教室へ行ったり、涙が止まらないお友達は抱っこをしてあげたりしているのです。

さて、今日もバスを降りて泣いて泣いて泣いてのお友達がおりました。タカシ先生はすかさず手を繋ぎ「おはよ、待っていたよ。一緒に教室に行こうか?」と声をかけますが、「ヒックヒック」と涙が止まりません。そこでタカシ先生はしゃがんでお友達の顔を覗き込み「お母さんに会いたい?じゃぁ、電話をしてあげるね!」と声をかけます。鼻水だらだら、涙ドバドバのお友達。そんなタカシ先生の声かけに「うぶん、電話してね!」っていうので、「もちろんだよ!でもね、泣いているとお母さんの声が聞こえなくなっちゃうから、涙が止まったら電話してあげるね!」なんて言おうものなら、「すかっ!」っと涙が止まり、「ほれみてみぃ、涙なんか止まっているんじゃい!誰が泣いてなんているものか!!」と言わんばかりに可愛いお顔をタカシ先生にむけて、涙でウルウルの瞳を今度はランランと輝かせるのでした。

かくして、タカシ先生は、教室に入って行ったお友達を見送った後には、お母さんには電話をかけず、お友達はお母さんに電話をかけてもらったつもりになって、満足げにクラスへ入ってき担任の先生に「おはよ」なんて挨拶しているのでありました。

もし、おうちで「お母さん、タカシ先生から電話きた?」なんて聞かれたら「はいはい、電話がきましたよ。アナタが『幼稚園で楽しそうに遊んでるよ』って言ってました♪」ってお話ししてあげてくださいね。

令和3年度 [日記]

新年度明けましておめでとうございます。一昨日の始業式。昨日の入園式に続いて、本日より令和3年度が本格的に始動いたしました。

今日は、全園児が揃った初めての日。新入児のお友達は、ちょっと緊張した面持ちで幼稚園に登園してきましたよ。でもね、今日はさほどでもありません。新入児のお友達も、何が何だかわかっていないうちに教室へ行き、何が何だかわからないうちに降園時間になってしまったのです。「あれ?お母さんも幼稚園にくるんじゃなかったの?」なんて思う暇もなかったことでしょう。

タカシ先生もみんなの様子がちょっと心配で「泣いている子はいないかなぁ」なんてポッケに手を入れて園庭をブラブラしていたのですが、今年は。。。いや、今日はそんな泣いている暇もなかったみたい。

一方で、登園させたあるお母様が「心配なんです。3番目の子だし・・・」と。その気持ち、タカシ先生も痛いほどよくわかります。タカシ先生も自分の子を幼稚園にあげるときは、皆様ほどではありませんが、なんというか「オマエ本当に大丈夫なのか?」と心配したものです。しかし、親の心子知らずとはよく言ったもので、中村幼稚園に登園してくると、お友達は子どもの世界でめいいっぱい自己を発揮してくれることをタカシ先生は知っているのでそのお母さんに「大丈夫ですって!3番目は時にココ(心)が鍛えられてますから!」と笑顔で返すのでした。それでも心配なのが「親」というものです。

金八先生風に言えば「親とぃう字わぁ、木の上に立って、遠くからこどもをぉ見ることぉ〜。決して先に手を貸してあげる事ではぁないのでぇ〜っす」という事。しっかり見守って、そして子ども自身も「見守られている」という安心感の中で育っていくものなのでしょう。

さて、今日は大丈夫でしたが、きっと週明けは違います。少し勝手がわかってきて
①幼稚園にお母さんは一緒に来ない
②似たような背丈ではあるが、見知らぬ子どもが沢山いる
③幼稚園には目玉がぎょろぎょろでお髭の生えた怪しいおじさんがいる
という事を本日インプットして帰ったので、登園を渋っちゃうお友達も出ちゃったりするかもしれませんね。でもそんな時こそ保護者の皆様は、遠くの木の上に立ったつもりで「アナタを遠くから見ているから大丈夫よ!」という気持ちをもって、幼稚園に登園してくださいね。そして幼稚園のお母さんである担任の先生に「おねがいしま〜っす!」って預けてください。そうすれば、きっと数ヶ月後には、保護者の皆様の手を振り切って園庭を駆けていく姿になると思いますよ!

この時期は、心配や不安がいっぱいなもの。でも、今日の園庭こんな風に遊んでいる年長さん、年中さんの姿を見れば、来年の今頃はこうなってるんだな、っておもえるでしょう。この子達も、去年、そして一昨年の今日は、お母さんに手を繋がれて涙目で登園してきたっけなぁ。

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令和3年度初日の園庭自由遊び。それはそれは大盛り上がり!