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特別な子 [日記]

ども、タカシ先生です。1ヶ月ぶり。
前回の更新では、地震があって怒涛の1週間だったのですが、3月は怒涛の1ヶ月で「なんだかなーもー」と思っている間に、卒園式を迎え、そしてただいま新年度の準備に明け暮れているタカシ先生です。

さて、今年の卒園式も日本一の卒園式でありました。参列された卒園生の保護者の皆様ならば、何がどのように日本一なのか肌で感じていただけたことでしょう。創立90周年の卒園式は、ワタクシ、タカシ先生にとっても、記憶に残るものとなりました。

今年度の卒園生の中には、特別なお子さんがいました。だからと言って幼稚園ではその子を特別扱いをしているわけではありません。背が高いとか低いとかそれと同じように、その子の個性と受け止めて入園してもらいました。ただ3年前に入園される時のお父様とお母様は本当に心配そうでした。

年少の時は、まだどの子も幼さが抜けきれずにいましたので、そんなに目立つことはありませんでしたが、年中に進級すると少しづつ「他の子は違っているんだな」ということが解ってきました。それでもご両親は、毎日お弁当を持たせてくれ、毎日幼稚園に登園させてくださいました。
年中からは副担任がついて毎日援助してもらいました。トイレは他の子よりも1年遅れて年中組でできるようになりました。トイレができるようになったあたりから、副担任との信頼関係は日に日に深まり、抱っこをしたり、本を読んでもらったり。一緒に絵を描いたり、時には喧嘩をしてみたり。お友達とするべき経験を副担任と経験しているようでした。
年長組になると、他の子とできることとできないことが顕著に見られるようになりました。それでもご両親は、毎日お弁当を持たせて幼稚園に送ってきてくださいました。時折タカシ先生と副担任と3人で事務所でお弁当を一緒に食べることがありましたが、お母さんの作ってくれたお弁当を本当に美味しそうにたべました。

他の子と違った特別な心をもった子どもですが、その子が他の子と同じところは「幼稚園を嫌がらずに毎日来た」ということです。ですから、毎日遊び、毎日クラス保育を受け、体操教室をし、鼓笛隊にも混ざり、体育フェスティバルではリレーにも参加しました。

でも、できないこともありました。お遊戯会には興味を持ちませんでした。お友達といるよりも一人で遊ぶことが好きでした。毎日のルーティンは、朝の仕事を済ませると決まってタカシ先生のいる事務所へ一目散でやってきて絵本を読んだり、絵を描いていました。その絵は目を見張るほど出来のいいものです。鼻歌を歌うのも好きでした。平仮名やカタカナを書くのも得意でした。ただし、何を書いているのかということはあまり理解していないようでした。それでも、毎日事務所で楽しそうに過ごしていました。そんな風ですので、タカシ先生は全園児が登園し終え、正門を閉めると決まって自分の席に着きお友達が来るのを待っていました。そしてお友達が遊びに来た時には「おはよう」と、応えが返ってこない挨拶を毎回するのです。挨拶も苦手でしたが、そんなことを毎回しているうちに、少しずつ意思の疎通ができるようになってきたのです。「それちょうだい」「あれ取って」「絵を描いてもいいよ」言葉では返ってこなくても、タカシ先生の言うことに反応してくれるようになりました。時にはタカシ先生のお仕事のパソコンを見つめ「ドラえもんの音楽を流してくれないか」と隣に来て目で訴えることもありました。それに応えてあげないと、「ぷい」と副担任の膝へ向かい癇癪を起こすかわいらしい子でした。

そして年長組の3月になると、卒園式の練習が始まりました。タカシ先生もお免状をあげる練習のために毎日参加していましたが、そのお友達は上手にもらえることもあれば、興味を示さずホールに入れないこともありました。椅子に座っていられなくて「がたがた」大きな音を立てることもありました。足音を踏み鳴らせてなんとか自分を落ち着かせようと思っている姿もありました。ですから、タカシ先生は副担任に「無理だけさせないように。」と話し、他の先生方へは、「騒がしくなっても、そのままにしておきなさい。」と言いました。それでも厳粛に行われる中村幼稚園の卒園式です。ですからタカシ先生は、その子が当日参加できない時は、みんなが帰ってから一人の時にゆっくりとお免状をあげよう」とそっと思っていました。

卒園式当日。お母さんが近くにいることで安心はしているものの、一人で自分の席に座っていることは難しいようでした。ですから、お母さんの隣にいてもらって、他のお友達がお免状をもらうのを見ていてもらいました。お友達の番が近づきます。クラス担任から名前が呼ばれます。お友達は返事はできませんでした。しかし、副担任に促されてお母さんから離れ自分の席まで来ると、お免状をもらいに「一人で」歩き始めたのです。そしてタカシ先生が上がっている壇上へ階段をあがり、タカシ先生からお免状をしっかりもらって帰って行きました。途中、階段を降りれなそうでしたのでタカシ先生は小さな声で「行ってもいいよ」とお友達の背中に言いました。お友達は、聞こえているのか聞こえていないのか。しかし、タカシ先生の言葉の後に階段をおり、ふらふらとではありますが所定の場所へ行きおお免状を預けてお母様の腕の中へ帰ってきました。

その頃には次のお友達の名前が呼ばれていました。

特別な子です。それは、他の子とはちょっと違ったという意味の「特別な子」なのではなく、タカシ先生にとっても、中村幼稚園にとっても、担任や副担任にとっても、もちろんお友達にとっても、そのお友達は「特別な子」なのです。

そして、特別なのはそのお友達だけではないのです。そのお友達の様子に、他の同級生やお友達は誰1人として文句を言わず、イヤがらず、流されず。どちらかと言えば「この子はこういう子」と、まるでそのお友達をリスペクトするべく認めているのです。こんなにも優しく心温かな子ども達がどこにいるでしょう。
まさしく今年の年長組さんが、中村幼稚園の目指す子ども達なのです。タカシ先生は、特別な子ども達に囲まれていたことを、卒園式の練習を通じて感じ、そして卒園式で確信したのです。