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不精の功名

幼稚園のクラスの前にはプランターが置いてあり、そこにはビオラが植えてありました。先のブログでも書いたように、タカシ先生はコロナ休みの時に、誰にも見てもらえないビオラに、息子と娘とでお水をあげて、みんなが登園してきた時に綺麗に咲いているようにしておりました。

しかし、ビオラの時期が過ぎ、事務所前のそれはとうに片付け、クラス前のプランターだけ無残な姿で残してあるのです。

「あーぁ、今年は(摘花した)ビオラの花びらを子ども達にあげられなかったな〜」なんて思いながら、そろそろかたすかなと思っていた矢先、クラス担任が子ども達と一緒にプランターをどかして何かを探しております。「プランターの間に何か落としてしまったんだろうか。やっぱり邪魔なんだな。片そ」と思っていたのですが、どうも様子が違うのです。

ですから、子ども達と担任のその姿がひと段落したところで担任に「何探してんの?」って聞いてみるとこんな答えが返ってきたのです。

「プランターの下に、ダンゴムシがウジャウジャいたりして面白いんですよ。時にはミミズなんかもいて子ども達が大盛り上がりで・・・。『プランターをどかしてくれ』っていうもんでどかしてあげてたんです。でも今日のような雨の日には、いませんねぇ〜。」と。

タカシ先生はそんな答えにびっくりです。ダンゴムシやミミズをさがしていたなんて。しかも、雨の外に出れない日に、軒先に置いてあるプランターをどかすだけで、こんなに素晴らしい生きた教材が転がっているとは想像もしませんでした。それを発見する子ども達もすごいですが、わざわざあっちからこっちまでのプランターを持ち上げて、子どもに底を覗かせている担任もなかなかではないですか。タカシ先生の不精がこんなところで役に立つなんて思ってもみませんでした。

ということですよ、みなさん。何でもかんでも綺麗に片付けて見栄えが良いことだけが素晴らしいのではありません。タカシ先生のように、ちょっとズボラで不精な方が、子ども達にとっては新たな発見があったり、新しい気付きがあるものなのです。

と、タカシ先生の不精さを肯定しておきます。でも、流石にそろそろ片付けなきゃな、プランター。