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広くて深い場所 [日記]

1週間通しての保育が終わりました。この1週間比較的天候に恵まれ、子ども達は外に出て遊ぶことができました。「いっぱいあそぼう!」と銘打っている中村幼稚園です。今週は、その名の通りいっぱい園庭で遊びましたよ。

「この時期の新入園児は、右も左もわからず不安でいっぱい」と記しましたが、園庭で遊ぶとその不安がどっかに飛んで行っちゃうようです。解らないなら解らないなりに子ども達は知恵を絞って自分を安心させる術をしっているのです。

例えば「独り遊び」この時期の年少さんの遊びは「独り遊び」が主です。お庭で遊ぶにも友達と遊ぶよりは「独りで砂いじり」とか「独りでぶらぶら」とか。滑り台も、一見みんなで遊んでいるようですが、実は独りでご満悦な状態なのです。そうして何かに集中して没頭し、独りでいる時って大人だって「なんだか落ち着く」なんてことがあるでしょう。そしてふと我に返り、ちょっと寂しくなった時には先生のエプロンをつかんでいたり、先生の隣にちょこんと座ってみたり、中にはタカシ先生の人差し指をちっちゃな手で「ぎゅっ」っと握って寂しさを紛らわせたりしているのです。

大人はこぞって「仲良く遊びなさい」とか「ほらお友達と一緒に!」とか、かくも友達と一緒にいる方が良いと思いがちですが、実はそうではありません。独りで遊べるからこそ次第に気の合うお友達ができ、気の合うお友達ができてこそ遊びに深みがでてくるのです。大して興味のないことを「させられたり」また、よく知らないお友達と「仲良く」といったってそれは所詮「他人に遊ばされている」という、受動的な遊びになってしまいそれは長続きしないものなのです。

中村幼稚園の先生方はその辺がよーくわかっているので、例えば独りで砂遊びをしているお友達がいれば、自分の周りに独り遊びをしているお友達を数人あつめて、そこに一緒に座って見守っていたり、先生も砂遊びをして見せているのです。そのうち、砂場のおもちゃが欲しい、とか、隣のお友達の物で遊びたいとか。中には先生の使っているものを貸してくれとか。そう言った時に、「貸してあげようか」とか「(友達に)貸してっていってごらん」とか。あるいは「もう少し待って欲しいんだって」とか、子どもの心の内の言葉を代弁してあげるのです。そういう経験を1学期にしていくことで、2学期になるころには隣の子同士で物の貸し借りができたり、なんかすごいことをやっているお友達を見つければ「混ぜて」って言えるようになったり。時には、邪魔をしているように見えて遊びが深まり発展していったり。子どもの遊びとは、そういうものなのです。

「させられている遊び」よりも「している遊び」の方が断然楽しく深まっていくもの。中村幼稚園の園庭は子ども達にとってはどこまでも広くどこまでも深みのある場所なのです。

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集団でいるようで、実は独り遊びでご満悦。