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お弁当の思いで(昼食編) [日記]

7月3日(土)に、自由欠席日&小学生クラブが開催され、久しぶりに土曜日に幼稚園が開園しました。小学生の兄姉も元気に遊びに来てくれて、同時在園できなかった弟妹と一緒に幼稚園で遊ぶ姿はとても微笑ましいものでしたよ。送迎されてきた卒園生の保護者の中に「ブログ読んでますよ!昨年度の卒園式のブログは涙ものでしたね!」と嬉しいお声がけをいただきました。(そのブログはこちらhttps://nakamula.blog.ss-blog.jp/2021-03-23)少し離れていてもこうして幼稚園と繋がってくれていることを嬉しく思います。

さて、先週末の園便りで「お弁当の思いで」という記事を紹介しました。今日は、タカシ先生のお弁当の思いで昼食編をお送りいたします。

先にも書いたとおり、タカシ先生は高校生の時、毎日お弁当を持って学校へ通っていました。学校には食堂もありましたが、それは自分のお小遣いから捻出しなければならず、金欠だった高校時代はおいそれと食堂を利用する事ができませんでした。

タカシ先生のお弁当は母と祖母が作ってくれていたのですが、家族全員がお弁当持ちだったので、家族5人分のお弁当箱+タカシ先生の朝食おにぎりという具合で、台所には毎日お弁当箱がずらりと並べられていました。そして各々がハンカチに包まれた弁当箱を鞄に入れ、出勤、登校したのです。ありがたいとも思わず当然のように。

ある時、学校の昼食の時間。寮生活の同級生の1人が神妙な顔でタカシ少年にこう言うのです。「荒のお弁当うまそうだよな。実は、今お金に困って食堂で昼食を食べられない状況なんだ。できれば、俺の弁当も作ってくれるよう頼んでくれないか?」と。よくよく話を聞くと、月に一回の仕送りを財布に入れていたところその財布を落としたらしいのです。それは彼の全財産で、次の仕送りまで1週間ほどあるというのです。そして「今日は?」と聞くと何も食べられない。というので、タカシ先生のお弁当から、卵焼きだかなんだか、よくは覚えていませんがおかずを何品かを「食べていいよ」とつまませたような気がします。そして「うまいな」と笑顔で返されたことはよく覚えています。

タカシ少年は、自分の弁当をうまそうと言われ、さらにそんな恥を忍んで頼まれた事に驚き「こんな弁当でいいのか?」と自分の弁当箱を開いて見せてあげました。「うん、同じでいい。面倒ならおにぎりだけでも…」という彼に「母に聞いてみるよ」と答えその日は授業を受け、部活をし、1時間かけて帰宅したのです。そして帰宅後開口一番母と祖母に彼の事情を話し快諾をもらったのです。

タカシ少年は自分の弁当を美味しそうと思ったことはあまりなく、「とりあえずお腹がいっぱいになればいい。」と思っていたのにもかかわらず、それを横目でうらやましそうに眺めていたであろう彼は、タカシ少年に打ち明ける前の食堂に行けなかったちょっとの期間、タカシ先生のお弁当をどう思っていたのでしょう。お弁当を持ってくる同級生はクラスに何人もいたのに、なぜタカシ少年に頼んだのかは真意は不明です。

そんなことがあり次の日「ほい、弁当」とハンカチに包まれた弁当を当然のように彼に手渡しました。お弁当を受け取った時の彼の、嬉しそうな、安心したような、涙がこぼれそうな、感激したその顔を今でも忘れられることできません。「ホントに持ってきてくれたのか?!」といいその日は2人で同じ弁当を食べたのです。お弁当を食べ終え「ありがとな」と空のお弁当箱を返され、それを「はいよ」当然のように取りそれを持って帰り、また次の日母と祖母にお弁当2人分とタカシ先生の朝食おにぎり3つを作ってもらい、それらを持ってまた1時間電車に揺られて登校したのです。母も祖母も当然中村幼稚園で働いていたので、お弁当のおかずがなかったときは、おにぎりを遠足の様に沢山持って行って分けた日もありました。というわけで、その期間だけはお弁当箱が6つ台所に並んだのです。

そして仕送り予定日の前日、彼は「明日仕送りが来る。弁当ありがとな。お母さんにもよろしく言っておいてくれ。うまかったよ、命が繋がった」と最後の弁当箱をタカシ少年に渡し、頭を下げたのです。

こうして、また荒家の台所にはいつもの通り5つの弁当箱とおにぎりという日常に戻ったのです。始発の電車に乗るタカシ少年。家族全員分の弁当を詰める。あるときは同級生のお弁当まで作って持たせてくれる。部活で遅くに帰ってきても、出された弁当箱を洗い、また詰める。母や祖母は何時に起きていたのだろうとしみじみ思い、また、食事を親が作ってくれるありがたみを思う日曜の雨の午後です。